コマ大数学科 京都大学1966年
コマ大数学科9月24日放送(日付はサンテレビ)の問題です。1966年京都大学入試問題かららしいです。(問題文は一字一句忠実ではありません。) 平面上に相異なる4点がある。そのうち、どの3点をとっても正三角形にはならない。2点間の距離が、1,1,1,a,a,a のとき、a の値を求めよ。ただしa >1とする
コマ大 4×4の点を6本で
4×4 の格子点を、6 本の折れ線(5 回曲がる)で全部通る(重複して通らないものが好ましい)。コマ大フィールズ賞はどのチームか
割り勘の方法
全く同一方向ではない場合、タクシー相乗りの割り勘はどうなるか?
原始ピタゴラス数
次の直角三角形の各辺の長さを求めよ。辺の2つの長さが素数。3つの辺の長さの合計が132。
集合の濃度
無限集合の大きさについては、濃度という考えをします。2つの無限集合があったとき、その要素の間に、一対一対応がつけられれば、その集合の濃度は同じ、とみなします。 整数の集合と、2の倍数の集合とは、同じ濃度です。整数xに対して、2の倍数2xが一対一対応するからです。整数であって2の倍数でないものも存在するのですが、数学の世界ではそうなっています。 これには、不可思議な印象を持つかもしれませんね。私も変だと思います。おそらく、数学が、体系の整合性や簡潔性を重んじるからだと思います。 一対一対応を元に議論を展開するのはまだ納得できます。しかしながら、上手い対応を見つけることに依存しているのはいかかがなものか、と思います。(例えば、整数xが2の倍数であれば、2の倍数の集合のxと対応付けると、上手くいきません。) 高校生の頃に、この辺りのことを考え出してから、数学そのものに対する違和感を感じるようになりました。そのため、認知科学や人工知能に興味が移っていきました。 数学の体系は、全知全能を前提とするもので、いわば神の世界のようなものです。一方で、ヒトの思考は異なるものだと思います。もちろん、こっちが良いとか悪いとかいう話ではありません。異なるものだ、ということです。私には、ブラウアーの直観主義論理の議論が凄く納得のいくものだったのです。 数学の専門家の方がいたら意見や批判等遠慮なくどうぞ。
一対一対応
コマ大数学科6月19日(金)(サンテレビの放送日)で、カントールの対角線論法が少し紹介されていました。そこで集合について考えてみたいと思います。無限集合の濃度等まで話が進むのでかなり大変ですけど。 二つの集合の要素を1つずつマッチングさせていき、半端が出ないことを、「一対一対応」と呼びます。 数学では、写像(集合から集合への要素の対応付け)としてとらえます。「単射」「全射」という概念を用います。以下では集合Xから集合Yへの写像について考えます。 単射: すべての「Xの要素」に対応する「Yの要素」がある 全射: すべての「Yの要素」に対応する「Xの要素」がある 単射かつ全射の場合を、「全単射」と呼びます。日常用語の「一対一対応」は、人によって解釈が異なるようです。数学を議論する場合は(そんなことが日常で起こるかどうかは知りませんが)、日常用語ではなく、数学用語を用いるほうが良いでしょう。 有限集合の場合は、全単射なら要素の個数が同じです。無限集合の場合は、全単射が成立する無限集合、濃度が等しいとみなします。 不思議に思うかもしれませんが、自然数と有理数の濃度が等しい、ということが証明されています。 一方、自然数と実数の濃度は異なります。この証明にカントールが用いた方法が、対角線論法として知られています。 長くなったので、カントールの対角線論法の詳細は次回紹介します。
53枚のカードをシャッフルする
52枚のカードをシャッフルするの次は、1枚増やして53枚の場合を考える。 (問題) 53枚のカードを27枚と26枚に分け、一枚ずつ交互に混ぜる操作(リフルシャッフル)を行う。 0————— —————27 1————— —————28 ・ ・ ・ 25————— —————52 26————— この操作を繰り返すと、何回で元の並び順に戻るか? (オリジナル問題)
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